保育園から宿題を渡されました。今度の七夕に飾る短冊に、願い事を3つ書いてきてくださいというものです。まずその短冊を保育園バッグから取り出した娘は、「え、この色選んだかなぁ」と先生が間違えていれたんじゃないかということを指摘し、短冊の角が少し曲がってしまっていたことにぶつぶつ言いながらも願い事を考え始めました。とにかく几帳面で細かい娘。カードなどはきちんと向きをそろえて角をそろえて整理しないと気がすまない。女の子の絵を描いていて、自分の思い通りの目(キラキラでかわいい目)が描けないと「失敗した~!」と泣き出す。私には違いが分からないくらい細かい。そういえば1歳の頃からタオルをきちんとたたむのが大好きで、自分のチュッチュタオル(生まれたときから今でも使っている、寝る前に親指と一緒ににぎる安心タオル)を角をそろえてきれいにたためないとイライラして大泣きしていたのを思い出します。しかしそんな几帳面でも片付けは出来ない。おもちゃはちらかしっぱなし。「制作~♪」と何かを作った後は、部屋のあちこちにハサミやのり、テープや紙の残骸が落ちています。これって・・・・一部分にはこだわりを強く持っていて、それ以外にはまったく興味のない私にそっくり・・・かも。
あぁ、話がずれてしまった。そうそう、願いごと。娘が自分で考えまずひとつめ、書いたものを読むと「うっ~」と涙が出そうになってしまった。文章がめちゃくちゃなので訳すと、「家族が皆いっしょに過ごせますように」。今夫は東京で一人暮らし。先日久しぶりに3人でいたときに私が「やっぱり家族一緒が楽しいね」と話していたのを覚えていたのでしょうか。夫の実家に行くと姉妹もいて、おじいちゃんおばあちゃんもいる大家族。それがうらやましくて仕方ないのです。それにしても他の二つを読むと、お母さんとしてはこの願いごとを一番に書いてくれたのが嬉しくて仕方ないのです。
他の二つは・・・「うさぎのペットがかえますように」、「いっぱいお菓子がたべられますように」でした。普段の娘は99%がこの二つ系(?)のお願いで頭の中はうまっているはず。しかし昨日は「お父さん、お父さん!やだ~。一緒がいい~!」とまた帰ってしまったお父さんが恋しくて大泣きしたので、昨日に限って一番に躍り出た「家族」。良かった良かった。
「お父さんお父さん!」と大泣きをする時は、なだめるのが大変です。前回は部屋中を探し回って早朝から大きな声で叫んでいました。震災で離れ離れになってしまった家族を思うと、私たちは本当に幸せなのです。会おうと思えばいつでも会えること、この状況はたった数年で終わること。それが分かっているからです。しかし娘にもっと辛い思いをしている子どもたちがたくさんいるよと言っても分かるわけがありません。先日のブログで書いた思春期の髪の毛くるくる時代、何度親に「もっと大変な子どもたちがいるのに、そんなことで・・・」と言われたことか。あの時は「もっと大変な子」の想像すら出来なかった。だから他と比べても意味がないのです。自分がどんなに恵まれて育ったか、やっと今の年で分かったくらいですから。ということで私は娘をなだめるとき、「そりゃつらいよ。会いたいよね。じゃぁさ、お菓子でも一緒に食べようか。」と甘い言葉をかけます。そして「うん。」と瞬間的に泣き止む娘。はい。その程度です。お父さんには悪いけど・・・まだまだ絶大な効果をもたらすお菓子。